第1.5の人生 2

条件整備の第1は、家事がひと通りこなせること。

妻とはすでに卒婚の関係で、それぞれに独立性の高い生活をしており、私は掃除、洗濯、炊事に犬の世話まで、身の回りのほぼすべてを自分でやっている。できないのはボタン付けなど繕い物ぐらいだ。

世の中には、連れ合いに先立たれると、たかだか日常生活を送るのに手も足も出ない男がいる。家事は女がするものだと思っているから天罰が下る。といって家事の分担の話をしたいわけではない。小はミジンコから大はクジラまで、自力自活はあらゆる生き物の基本条件である。

炊事は単身生活をしていた学生時代に、母親直伝で経験があり、面倒がらなければてんぷらでもハンバーグでも作れる。今どきは外食でも中食でも用が足せるが、健康面を考えると、少々手間がかかっても手料理がよい。生命力は食生活にあり。しかも、空腹を満たすだけではつまらない。ちょっと自慢できるぐらいのおいしい食事を楽しめるよう、この春から料理教室に通うことにした。月に1回、土曜日の午前中2時間なので大した負担にならない。

自力自活が基本条件とはいうものの、それを支えるのは心身のトレーニングになる。なにしろ私ももうポンコツで、手入れをしなければいつボケるか、寝付くかわからない。そこで脳トレには英会話、筋トレにはストレッチかヨガがよかろうと狙いをつけた。

英会話は、短編小説を読んできて批評し合うYWCAの教室に出ることにした。おしゃべり好きの私としては、カラオケでストレスの発散をするような効果も期待できる。

体のトレーニングの方は、一度に3つも始めるのは大変なので、後回しになりそうだ。というより、口を動かすのは得意だが、体を使うのはおっくうな方で、始める前から長続きしそうにないと思ってしまう。筋トレそのものが目的ではなく、やり残したことの点検、選択、実施のための条件整備のひとつなんだし、まあいいか、料理と英語でひと息ついてからまた考えよう、とだんだん言い訳がましくなってくる。

問題は、命がいつまで残っているか、さっぱり分からないことだ。未練がましくダラダラ長生きするよりも、やり残したことを全部片付けてピンピンコロリで文句はないが、人生そう都合よくは終われない。死ぬときぐらい好きにさせてほしいと思っても、尊厳死も安楽死も自裁死も簡単ではない。

残る手段は、いよいよと覚悟を決めたとき、絶食による自然死だが、これも適切なサポートをしてくれる町医者を見つけるのはむずかしい。つまり、今の日本では、進んで死を迎えるのはすべて変死扱いで、関与した医者は自殺幇助や殺人犯にされてしまうので、たいていは逃げ腰になる。

となると、煩わしくなくてよいのが、案外、孤独死かもしれない。(おわり)

おまじない

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人生、計算通りに行かなくても、またよしとする







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