私の76年と、これからのこと(1)

「古稀おめでとう」のメッセージを孫からもらった時は、別におめでたくもないけどな、と思っていたが、気が付けば来年は喜寿になる。この先は傘寿で、その先は米寿かいな、いやはや、もういつ死んでもおかしくないと思いつつ「線路は続くよ、どこまでも」みたいな毎日をどう受け止めたらよいのだろう。

確かなことは言えないが、一応の心づもりはある。この歳の平均余命はあと10年ちょっと、誤差がプラスマイナス5年と考えれば、早いとあと数年でアウトだが、長ければまだひと仕事できる。これまでの4段階の人生を経て、第5ステージはどこへ踏み出すか。計画魔の私にはすでに用意があるが、思ったように行くのかどうか。

振り返ってみると、まず第1ステージは親元で育った18歳まで。なにしろ父親は、明治生まれのひとりっ子育ち、おまけに製造会社を創業してしてワンマン経営者だったから、家庭でも侵すべからざる絶対君主だった。私の反権力的性向は、こうした父親への反発から培われたように思う。

窮屈だった家庭から一気に解放されたのが、大学入学を機に上京してからの第2ステージで、学生運動、伝統芸能や仏教文化への傾倒、世界一周放浪の冒険、古典文学研究と、やりたいことはなんでも全力投入した青春の11年だった。

その後いったん故郷に戻ったが、結婚をめぐってすぐに両親と正面衝突になり、決別してからの14年が第3ステージ。学生時代の後輩のアパートに4畳半の空き部屋があったのでそこを借り、その女性と同棲を経て入籍する一方、たまたまその土地の新聞社が取材記者を募集していたので、面白そうだと応募してみた。

社長と面接の後、居合わせた客と3人でなぜだか居酒屋に行く流れになり、飲んで話しているうちにお互い気に入らず、こっちも採用辞退、相手も不採用でその夜は終わった。初対面の人にタダ酒飲まされたままでは義理が悪いので、埋め合わせにエッセイを4本書いて送っておいたら、相手の気が変わって入社を勧められた。

平屋木造民家の畳敷き3部屋をぶち抜いて事務所にし、タブロイド4ページを週刊で発行、社長が編集、奥さんが営業で、ほかにパートのおばさんが3人いるだけ。私は子どものころから文章を書くのが好きで自信もあったが、親子喧嘩のゴタゴタがなければ、ここを起点にものを書いて飯を食ってゆこうなどとは考えなかったろう。選択の余地がないと簡単に踏ん切りがつく。

街の新聞社には、散歩途中の老人が用もなく雑談をしに立ち寄ったり、行方不明になった飼い犬を紙上で探してくれと主婦が頼みに来たり、不要になったベビーサークルをリサイクルしたい若妻がいたりと、市井の人々が行き交うテレビドラマを見るような面白さがあった。

社長は編集長とは言いながらちっとも動かぬ人で、私は取材、写真撮影、原稿書き、広告の文案作り、レイアウト、なんでもやって覚えた。しかし、もっと大きな記事を書きたい。そこでここを踏み台にしてフリーライターになろうと、業界紙や情報誌、綜合雑誌、日刊紙の連載にも手を広げた。(つづく)

おまじない

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