私の76年と,これからのこと(3)

小さな新聞社と中堅の製造業、兼務の期間もあってそれぞれ30年働いてきた。このうち製造業の方は、なりゆきでそうなり、与えられた任務をこなす努力はしてきたものの、いつもどこかで自分の本領とはいえない居心地の悪さを感じてきた。

もとより人生は、だれしも自分の思い通りに貫けるものではない。「置かれた場所で咲きなさい」と渡辺和子は書いた(幻冬舎文庫刊)。私自身も新入社員には「青い鳥などどこに探しに行ってもいない。いるとすれば、与えられた場所でコツコツとキャリアを積み上げていった自分の中に見つかる」と話してきた。

しかしそうして前進できるのは元気なうちだ。私の場合、医者いらず薬いらずで健康に何の不安もなかったのは60代の半ばまでで、その後は高血圧、潰瘍性大腸炎、70代で糸球体腎炎疑い、頸動脈の動脈硬化と、検査を受けては医者に脅され、今は通院しながら朝4種類、夜2種類の薬を飲まされる羽目になった。このほか今はやめたが長年の喫煙がたたって肺気腫の手前にあり、速足で10分も歩くと息切れがする。睡眠障害で眠剤も常用、入れ歯はないが奥歯のブリッジが危ない。

消化器、循環器、呼吸器と、体があっちこっちポンコツになるにつれ、気力、体力、知力も衰える。それまでずっと、積み上げてゆく足し算のパターンだったのに、峠を越えると今までできたことが年々できなくなり、だらだらと緩やかに下降してゆく引き算の境遇に置かれる。戸惑いつつ、この歳なら文句も言えないと受け入れざるを得ない。

こうして私の第4ステージも間もなく終わるが、さてこの後はどうしたものか。人生の最終章が近づいてくると、なにかやり残したことはないか、どんな終わり方をしたいか、としきりに考えるようになった。第5ステージの余生を、ぼんやりと無駄遣いしてしまいたくない。

広島の平和記念資料館で英語のボランティアガイドをしようと思い立ったのは3年前だった。ホームページを開くと募集を終えたばかりだったが、次の募集までに英語と昭和史の再学習をしておけばちょうどよいと思った。

あんな馬鹿げた戦争はなかった。日米開戦から半年のミッドウエイ海戦で負けて以来、ガダルカナル、インパール、レイテと完敗を続けた。最初から勝ち目のない戦争を延々と4年近く引きずり、原爆投下でやっと目が覚めた。せめてサイパン陥落で降伏していれば、その後の東京大空襲も硫黄島も沖縄戦も中国残留孤児もシベリア抑留も北方領土もなかった。

一方、アメリカに原爆投下の理はあるのか。壊滅状態の日本に2度の無差別攻撃で21万人が無残な死を遂げた。空前絶後の地獄を生みながら、アメリカは戦争の早期終結を理由に自らを正当化して押し通した。しかし実態は、7月に成功したばかりの核開発を、実際に使ってその威力をスターリンに見せつけ、戦後の世界戦略で圧倒的な優位に立つのが狙いだった。ABCC(戦後、広島に置かれたアメリカの原爆障害調査委員会)は大量破壊兵器の効果を調査研究するのが目的で、被爆者の治療は一切しなかった。(つづく)

おまじない

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