そのころ私は上京したての大学1年生で、ひばりヶ丘にある先輩のアパートに遊びに行ったら、駅前のスーパーで食材を買うのに付き合わされた。手料理をふるまってくれたのはありがたかったが、若い男が出入りするにはちょっと気後れのする場所だった。
時を経て、状況はすっかり様変わりした。資本力にモノを言わせた大型店舗とコンビニとの板挟みに会い、今や個人商店は見る陰もない。スーパーはさらに複合モールへと発展したり、高級、標準、格安店に作り分けて多店舗展開している。
高級店は標準店に比べ、倍もする値段で品ぞろえをしている。たしかにうまい食材もあり、この店でなければという客もいるのだろうが、家庭料理でそこまで見栄を張らなくてもいいだろうにという気がする。この層が食品ロスを絶対に出さないなら、それはそれでひとつの見識だが、そうとも思えない。こんな家庭に招かれて、この舌平目はなんとかで、このワインはブルターニュの何年物で、などと講釈を始められたらすぐに帰りたくなりそうだ。招かれたことはないが。
格安店には格安店の戦術がある。新聞の折り込み広告には上質紙を使わず、ザラ紙に2色印刷で、広告費が安上がりという以上に、いかにも安いと印象付ける効果を狙っていそうだ。
それは商品のディスプレイにもいえる。ごしゃごしゃと並べてあって、なんだか安っぽい。「まあおいしそう」というより「用が足りれば、ぜいたく言ったらきりがない」ところにアピールの力点がありそうだ。それでいて値段を冷静にチェックすると、大して安くない。値段に敏感な客層に、これで効果があるのだろうか。(つづく)
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